梶原吉広がオリンピック「体操」を紹介

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体操競技は男子は床運動、鞍馬、吊り革、跳馬、平行棒、鉄棒の6種目、女子は跳馬、段違い平行棒、平均台、床運動(女子は音楽を用います)の4種目です。近年では高難易度化で採点も10点満点から上限なしとなりました。また技を初めて成功するとその選手の名前が付くのが特徴。身長も長身だと回転力が下がるため小柄な選手が有利な競技です。その為10代中心の女子は二次性徴の影響で大きく体格が変わってしまったりという理由から年齢による下限がある国際大会に出場させるために年齢を詐称させる問題もたびたび発生してます。

体操競技の歴史は1811年にドイツのヤーンがベルリンの郊外で若者を集めて体育場を開いた時に体操器具原型の道具が多種類置いてあり、若者たちがその器具を用いて技を作り競い合ったのが始まりとされます。

日本での歴史は1830年に新兵訓練に用いられたのが始まりとされています。そして徴兵令施行により日本軍の新兵訓練にも採用された。入隊後の訓練期間が惜しいと、学校教育にも器械体操が導入されるようになりました。1932年にはロサンゼルス五輪で日本は最下位でしたが、国際大会や学生スポーツとして盛り上がりを見せた。1952年ヘルシンキ五輪では団体5位に種目別ではメダルを獲得をしました。1960年のローマ五輪では男子団体にて優勝を飾りました。以降は20年間は日本は連覇を上げて更に個人総合、種目別金メダルも多数獲得。日本は体操の世界一の座に君臨しました。しかしロサンゼルス五輪以降は金メダルの獲得が無くなりました。選手の技能継承、後継者育成などが失敗に終わったのが原因です。その後のアトランタ、シドニーはメダルなしで終わりました。そして不況の影響で、企業団体の廃部が多発。暗雲の時代となりました。しかし2003年に世界選手権種目別で金メダルを獲得しました。そして2004年アテネ五輪は男子団体が28年ぶりの優勝。そして北京、ロンドン五輪でも団体で銀メダルを獲得や種目別、個人総合での優勝含むメダル獲得が続いています。2015年の男子団体は優勝を果たしました。

体操選手のリオ五輪出場確定は個人総合「内村航平選手」、トランポリン男子個人「伊藤正樹選手」、「棟朝銀河選手」です。

中でも内村航平選手です。オリンピック2大会で金メダル1、銀メダル4の成績をもち世界選手権でも金メダル10、銀メダル5、銅メダル4を獲得しています。日本を代表するベテラン選手です!ぜひリオでも活躍を望みます!!

梶原吉広がオリンピック「卓球」を紹介

今では日本でもポピュラーな競技の一つの「卓球」。必ずアミューズメントパークに行ったりすると台が置いてあったり、一昔前は卓球台が置いてある銭湯は多く見られた時もありました。やってみると非常に奥が深い競技だと判ります。手首の動きで球の軌道も変わるし、それに伴う動体視力、反射能力、瞬発力、持久力が必要になります。

卓球の歴史は意外にも19世紀後半のイギリスが発祥です。テニス選手が雨の日にテニスができなかったで室内のテーブルでテニスを真似事をしたのが始まりでした。この時この真似事が世界競技になるって想像をすると凄い事ですよね。1900年頃にはラケットがゴム製になりましたがネットの高さが高く、強力な打球技術も無くいかに相手の球を返していくかという長時間の対決になっていた1点獲得するのに2時間掛かった試合もあったそうです。1937年に日本で国際大会が開かれた。その際の日本代表のラケットは何も貼ってないただの「木べら」でした。ですがそんなラケットながらも好成績を掴んだみたいです。その頃アメリカのチームが指を駆使し様々な回転をさせながらサービスを繰り出し、強い回転を生み出すサービスでアメリカチームは好成績を掴んだ。ラリーが長すぎる試合が主流だったのがアメリカのサービスで打ち返せない選手が続発し試合時間が短縮され観客が退屈をしだした為、国際卓球連盟がルールが改正されネットの高さ、時間制限、指を使い回転させるサービス禁止をする事に決定しました。その影響で結局欧州選手団のカット主体での守備型戦法が有利な状況が再度続きました。しかしこの1950年後に日本が新しい卓球用具を様々に開発する。ラバーを裏返しにして貼る「裏ラバー」が使用されるました。こうすると摩擦が大きく強い回転を引き起こせます。そのあと軍事用品を利用した素材で卓球用品の開発が進み独立気泡のスポンジにより反発力、打力が高まりスマッシュ攻撃を繰りだす日本選手達が1952年の正解選手権において黄金時代の幕開けとなった。しかし1959年には「スポンジラバー」が使用禁止にされてラバーの厚みも制限をされた。2000年には球の大きさ、2002年にはサービス時にボールを隠す行為、2008年接着剤の加工規制をされたりと今でも進化をし続ける競技です。

卓球日本代表、男子は水谷隼選手、丹羽孝希選手、吉村真晴選手。女子は福原愛選手、石川佳純選手、伊藤美誠選手が選ばれています。

中でも期待は石川佳純選手です。ロンドンオリンピックでシングルでは惜しくもメダル獲得ができなかったのですが、福原愛選手、平野早矢香選手と共に出場した団体戦で銀メダルを獲得。今年はシングルでもメダル獲得を期待してます!

 

梶原吉広がオリンピック「水泳」を紹介

夏季オリンピック目玉の一つ競泳競技です。日本でもメダル獲得もそれなりに多くて人生一度はテレビ等のメディアで見る競技だと思います。

水泳の歴史、人が水の中で泳いだ歴史は判っていません。そもそも人間が生きてくうえで川や湖で魚を捕る事の詳細なんて判明させるだけでも大変そうです。一番古い物で9000年前の壁画には人が泳いでる姿があるそうです。そのあまりにも古い泳ぐという行為は古代オリンピックの時期から盛んに行われていたそうです。ただ泳ぎ方は犬かきみたいな感じだという事です。19世紀になってからイギリスで「平泳ぎ」が完成し、徐々にスポーツ競技として定着をしていきました。1837年に世界初の水泳大会がロンドンで行われました。1896年に開催した第一回のオリンピックで陸上、体操、フェンシングと競泳の4種目が行われました。その当時泳ぎ方なんて「平泳ぎ」しかないので実質泳ぎ方が決まっていない自由形として競われた。それから競泳が世界に広がり様々な泳ぎ方が生まれた。1900年のパリオリンピックでは「背負泳ぎ」が種目として追加されました。自由形も平泳ぎだけではなく「クロール泳法」が追加され、1904年セントルイスオリンピックでは平泳ぎが独立した種目になりました。1952年に平泳ぎの手の動きを変えて今でいうバタフライのような手の掻きを用いる選手が増え1956年にはメルボルンオリンピックから「バタフライ」が独立種目となりました。

人類と水泳は全世界伝統ある競技と言えます。そんな日本での水泳の歴史ですが、海や川に囲まれている日本も水泳は伝統があります。水中で格闘する技術や馬上水練や弓矢や鉄砲を持ちながら泳法等もあり武士たちには当たり前の技術だそうです。スポーツとしては明治時代の頃に日本での大会や大日本水上競技聯盟が建設された。1930年から1940年にかけては日本は世界一の座に立ち「お家芸」とまで言われた。しかし1964年東京オリンピックでは低迷し1988年まではメダル獲得が全くありませんでした。しかし、1988年には鈴木大地選手、1992年には岩崎恭子選手が金メダルを獲得。そして2004年には北島康介が平泳ぎで2冠を達成するなどの快挙を上げて、2012年には金メダルは獲得に至らなかったものの11個のメダルを獲得した。

そんな競泳競技で内定選手は女子バタフライ200メートル「星奈津美選手」と女子200メートル平泳ぎ「渡部香生子選手」、男子400メートル「瀬戸大地選手」です。

なかでも瀬戸大地選手の世界選手権での金メダル獲得は記憶にも新しいです。

梶原吉広がオリンピック競技「テコンドー」を紹介

最近ちょこちょこテコンドーという競技名が聞くようになりました。

オリンピックでのテコンドーは1973年から始まっています。古くから朝鮮半島から伝わる武術で足(蹴り)だけでなく手(拳)も使って行います。ただ拳はボディー(背中無効)のみで蹴りは腰から上にかけて判定がある競技なので蹴りが主体。なので足技は非常に多彩でそれを駆使して戦います。勝敗は採点かKO負けとボクシングと変わりません。現在は160カ国以上が加盟しており5000万人以上の人々が行っている大規模スポーツです。

テコンドーの歴史は1955年にチェ・ホンヒが日本留学中に空手を学びそこからアレンジを加えて命名された。元は朝鮮で伝わった空手道が「コンスドー」や「タンスドー」等と呼ばれた由来で「テコンドー(跆拳道)」と命名されました。このように日本の空手からの派生で生まれた格闘技です。そして1987年ソウル五輪から正式にオリンピック競技として始まりました。テコンドーの型はITFとWTFがあり、オリンピックではWTFの型で戦います。またこの競技のみオリンピックでは国ごとの出場枠が男女それぞれ2名までと決まっております。これにより世界各国メダルのチャンスが増えたようです。

テコンドーでの採点基準はまず蹴り技で胴部判定。拳による胴部判定(ただし連続パンチは無効)で1ポイント。後ろ蹴り、回転系の蹴り技が胴部に判定で2ポイント。蹴り技が頭部への判定で3ポイント。回転系の蹴りが頭部判定で4ポイントです。オリンピックでは電子防具であたり判定がすぐに判るようになっています。

日本がオリンピックでのテコンドーによる活躍はシドニー(2000年)での岡本依子選手が女子67㎏級で銅メダルという快挙をあげています。

そして現在リオ五輪出場が決まっている日本代表選手は女子57㎏級「濱田真由」選手(22歳)です。2012年のロンドンオリンピックでは5位入賞。2013年にはメキシコで行われた世界テコンドー選手権大会で銀メダルを獲得。そして2015年のロシアで行われた世界テコンドー選手権大会で日本人初の金メダルを獲得した。濱田選手の特徴は長い脚(身長174㎝に対して股下83㎝)を駆使してカット(押し蹴り)で攻める戦法が特徴です。彼女はロンドン五輪で防御の甘さを知り、得点をリードして守りを固めていく戦法に変えて選手権での金メダルへと繋がりました。

日本初テコンドーでの五輪金メダルへの期待が色濃く出てきました。

 

梶原吉広が日本代表出場決定「近代五種」を紹介

もうすぐ春ですね。徐々に夏のリオデジャネイロオリンピック開催日が近づいてきてます。そして着実と日本代表選手や競技も決まってきています。今現在(2016年2月)で内定している競技や選手達を自分なりにまとめてみました。

今回の記事で紹介したいのは「近代五種」です。あまり認知がされてない競技だと感じます。「近代五種」競技の特徴は射撃、フェンシング、水泳、馬術、ランニングの5競技で競い合います。この競技の歴史的は19世紀のフランスで、敵陣を突破して自軍まで現状(戦争)の報告を命じられた騎兵将校から競技になりました。馬で敵陣を駆け抜け、迫りくる敵軍を銃と剣で倒して、川を泳いで、その後自軍まで走り抜けたという故事からこの競技が創立した。

まさに戦争をやっているかの如くですね。国際大会では団体等の形式がありますが、オリンピックは個人戦のみ。しかもこれら5種競技を1日で行う為どれほど体力や精神を使うか計り知れません。フェンシングは1分間の1本勝負です。総当たり戦で勝率が70%以上で1000ポイントとなるそうです。なので負け続けるとポイントが下がっていく仕組みです。水泳は200メートル自由形です。2分半以内は1000ポイントになります。それを過ぎると1秒12ポイント減少します。馬術は大会で用意された馬を抽選により決定して障害物競技を行う。これは実力も運も必要ですね。飛び越える高さは1200センチメートルで1200ポイントから減点方式で採点される。ランニング(コンバインド)は上記競技の得点差でスタートします(4ポイント差で1秒)。レーザーピストルで5つのターゲットを50秒以内に狙い撃つ射撃と800メートルランニングを交互に4回行います。

この説明をしただけでも想像しただけで目が回りそうな競技です。代表選手の体力や持久力も人並みを超えているものです。2008年の北京オリンピックから再度(1992年バルセロナ以降は出場を逃してます。)日本はオリンピック出場を獲得しております。そして今年この舞台に立つ選手は男子は三口智也(29歳)と女子は朝長なつ美(23歳)です。

三口智也選手は和歌山県出身の自衛官です。確かに自衛隊ならこの競技ならうってつけかもしれません。持久力と強い精神力を兼ね備えております。近代5種全日本選手権では優勝の実績があります。

朝長なつ美選手は埼玉県出身の警察官です。彼女も日本の平和を守り抜く精神力と学生の頃から培った陸上や水泳での体力、技術の持ち主です。2014年の全日本選手権で初優勝を飾り、その爽やかな見た目からも「日本のヒロイン」として注目を浴びています。

この日本を守る2人が今年の夏、世界へと挑みます!